目次
#1 投資不足と知名度不足を嘆く下呂町
1:明治維新後は停滞した湯之島
2:終戦後8年目の下呂町長の想い
#2 下呂を高く評価したのは林羅山ではなく万里集九
3:下留(したどまり)駅がなまって「げる」→「げろ」→「下呂」に
4:万里集九(ばんりしゅうく・僧侶で漢詩人)による下呂温泉賛歌
5:羅山は万里を引用しただけ
#3 洪水に悩むも江戸時代は好調、維新後に低迷?
6:「湯番」は土地の派生商品
7:1825(文政8)年大洪水・幕府財政難で公的援助なし
8:1875(明治8)年大洪水と幸田の逆襲
9:幸田はツイていない
#4 大正期の第一回外資導入の失敗
10:下呂三湯の「外資」導入
11:河原の温泉に所有権を認めず
12:小林重正を除名、しかし湯之島の温泉占有?は容認
13:湯之島の分裂
#5 昭和初期の第二回外資導入は成功
14:名古屋・岩田武七とのアライアンス・・・掘削動力揚湯と内湯の普及
15:一宮・滝多賀男の登場・・・幸田の開発
16:湯之島が反対しても幸田で掘削ができた
17:終戦時の下呂温泉
#6 既得権の確立
18:湯之島に温泉シンジケート成立
19:温泉権利の調整と幸田地区
20:源泉の評価
#7 つぎのイノベーションは?
21:下呂温泉という商品ライフサイクル